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50代独身おじさんの日常

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一人称について

私は今でこそ「私」と言う一人称を使っておりますけれども、小さい頃から一人称は常に「僕」でした。

家族の前で、目上の方の前で、あまり親しくない人との会話で、大体「僕」で通してきました。

 

「僕」と言う言葉の響きが醸し出す、一歩下がった奥ゆかしさ的な響き、と言う私が個人的に感じている「僕」の響きへのこだわりもあるかと思いますが。

しかし、そんな「僕」でも、仲の良い友達の前などでは「俺」と言うちょっと普段と違う自分もたまに顔を出したりもしました。

きっとその頃はまだ若かったから、仲間の前ではちょっとイキりたかったんでしょうね。

「僕」よりも「俺」の方が、男としてのワイルド感を醸し出せる様なそんな気がして、意識的に使い分けをしていた様に今になっては思います。

 

そんな「僕」は社会人になってからもしばらくは「僕」を愛用してきました。

内心、もう社会人だし「私」を使った方が良いのは頭では解ってはいましたが、その頃はまだ「私」と言う一人称が醸し出す公式感の様な雰囲気に自分自身の人生経験が追い付けていなかったんでしょうね。甘えにも似た感覚で「僕」にしがみついていた様に思います、今になって思うと。

 

「僕」:「俺」=9:1 くらいの割合だった私の一人称が今の様な「私」:「僕」:「俺」=7:2:1 といった割合になったのは、実はつい最近の事でまだまだ私の「私」歴は7〜8年といったところなのです。

40代の前半までは何となく「僕」メインで、たまにビジネスの中でお堅い状況の中でたまに「私」が顔を出すくらいで。

 

ところで何故、一人称における「私」の割合が7割にまで勢力を伸ばして来たのか、これまで何十年もの間、一人称帝国を統治して来た「僕」がいつの間に…と、自己分析してみたのですが、これは決して「私」が醸し出す公式感的な雰囲気に自分が追いついて来たと言う事ではなく、40代の独身のおじさんの一人称がビジネスシーンでも「僕」と言うのはさすが気色悪い感じがして、徐々にその頃から「私」時代に切り替わって行った、と言う流れがありました。

まぁ「私」と名乗ってさえいれば、世間が感じる50代独身男性の気持ち悪さみたいなものもほんの少しは和らいでくれる様な気がして、自分に足りないビタミンをサプリメントで補給するかの如く、自分に足りない公式性を補うべく「私」を摂取している、というロジックであり完全に気休めでしかありません。

 

まぁ一人称を変えた所で自分の置かれた現状は変わる訳では無いので、視点を外に向けてみると、男性の場合「僕」「俺」「私」と言ったオーソドックスなものから「小生」「俺っち」「わし」「わい」「僕ちん」…と言った少し香ばしい一人称を使ったブログやSNSを良く目にする。

私がそうである様に、きっとこれらの香ばしい一人称を使う方達にもその一人称を使う何かしらの理由があると思うのだが、例えば「わい」を一人称として使っている人は、そもそも自分をどの様な人間に見せたくて「わい」と名乗り始めたのか、中々興味深い。

「私」だと硬過ぎる且つ何だか「私」よりも手慣れ感というか経験値をアピールしたい感じに聞こえる「わし」。

しかし「わし」だとさすがに40〜50代のおじさんが使うにはちょっと仙人感が出過ぎてしまうので、ちょっとヤンチャ風味を添えた「わい」と名乗る事で、経験値と遊び感覚の両方を使いこなす全能の神“ゼウス“感に包まれる…と言ったところなのかな?

でも、「わい」様達のブログやSNSを拝見すると、少なからずゼウス感を醸し出したいのかな〜?と感じ取れるので、あながち間違っては居ないのかもしれない。

 

どこかで「わい」様に出逢ったら、その際は注意深くゼウス感を感じ取って見て下さい。

それでは皆さんごきげんよう