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50代独身おじさんの日常

キラキラ要素は0%です。

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S席の記憶

今じゃすっかり落ち着き払った大人の男を演じている私ではありますが、頭の中身については、子供の頃の思考の癖みたいなのが今も尚こびりついている様な気がします。
まぁ、演じきれているかどうかは解りませんけれどもね。

思い起こすと、小学生の頃、1〜4年生までは、「先生の隣の席」がデフォルトでした。

〈イメージ図〉
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私が小学生の頃は、ちょうど第二次ベビーブームの時期だったので、小学校は1クラス40〜50名体制でした。
そんな40〜50名のクラスの中で、教卓の隣の席に座らされ、常に先生が監視下に置くべき問題児だったみたいです。(←超他人事)


なぜ、常に先生の監視下に置かれていたのか、というと "私なりの小さなチャレンジ" が、実は割と大きな問題になっていたということを、大人になってから同窓会の場で知ることになる訳ですが…。

小学校1〜2年生の頃は、かろうじて1学期の前半までは普通の席でした。

〈イメージ図〉
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"私なりの小さなチャレンジ" というのは、授業中、こっそり抜け出して給食室のおばちゃんに手を振りに行って、おばちゃんたちが笑顔で手を振り返してくれたら、教室にこっそり戻り、何もなかったかの様に自分の席に戻る。
そんな、バレるかバレないかの小さなドキドキチャレンジを、授業中に繰り出す脱走癖があったのですが、周りは「こっそりトイレに行って戻ってきた」くらいにしか思っておらず、私が抜け出しても大騒ぎになることもなく。

段々エスカレートしてくるんですよね、こういうスリル感って。
そんな私の小さなチャレンジは徐々に学校の敷地外にまで及び、通学路の駄菓子屋のおばちゃんとか、商店街の豆腐屋のおばちゃんに会いに行くという、もはや脱走レベルにまでエスカレートしてくると流石に学校に通報が入り、先生が迎えに来て連れ戻され、こっぴどく叱られる訳ですよね。
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で、もう2度と脱走できない様に先生の監視下に置かれる、と。

でも、なぜか脱走が自分の使命の様に思っていた私は、教卓の隣の席で大人しく余生を過ごし、何も問題を起こさずに学年が上がるのを、まるで受刑者が懲役が終わるのを淡々と待つかの様な心持ちで過ごす訳です。

だもんで、2年生に上がり、クラス替えがあり担任の先生も変わると、私の脱走癖はもう矯正されたと思われ、普通の席に配置される訳ですよね。
でも、私はずっと教卓の隣のS席で虎視眈々と脱走を計画してきた訳で、クラス替えのざわつきも落ち着き始めた頃合いから、また脱走チャレンジが始まる訳です。

2年生になってちょっとお兄さんとなった私のチャレンジは、距離を伸ばしたい願望が強くなっていき、通学路とは外れた場所にある自分が通っていた幼稚園に行って後輩達(園児達)に手を振りに行ったり、隣の街に住んでいた親戚のおばちゃんに会いに行ったりする訳ですが、勿論通報され、先生に連れ戻され、こっぴどく叱られて、S席で監視下に置かれる…というケイデンスとなります。

1年生、2年生と実績を積んで(前科を重ねて)いくと、流石に3年生にもなると最初からS席をデフォルト化して来るんです。
もう2度と脱走はさせないぞ!という強い意志を感じましたし、流石にもう脱走はできないと諦めました。

同時に、席替えの際に "あの子の隣の席にならないかなぁ〜" なんていう淡い恋心みたいな、そんなロマンチックな経験すらも引っ剥がされるのがこのS席でして、これは生粋のロマンチッカーにとっては辛い所でした。
初恋を返せ!と文部科学省に訴えたい。

まぁそんなこんなで、3年生からの私は、S席で先生の監視の下、気づかれない様に、"彫刻刀で机に穴を掘り貫通させる" という土木工事に手を染める様になります。
先生が黒板に向かって何かを書いていたり、教室の後ろの方に歩いて行ったりしている隙を見計らって土木工事を進めるしかないので、長期施工の計画となります。

また、掘っている事を悟られない様にする為、掘り進めては消しゴムのカスで埋めて、また掘り進めては消しゴムのカスで埋めて…を繰り返し、3学期の終わりまでに貫通させる取り組みに没頭する訳です。

4年生に上がっても、S席からのスタートだったので、第二期机貫通工事事業がまたゼロから始まる訳です。
流石に第二期ともなれば、第一期の頃のノウハウを活かせるので、2学期の前半には貫通工事は完了し、2つ目の穴を第三期工事として取り組み、3学期の終わりには無事、2つの穴が開く訳です、私の机には。


誰の特にもならない様なチャレンジに心を燃やしたり、且つそれを他人から悟られる事なくミッションコンプリートする事を目指したり…。
大人になってそんな自分の特性を考えると、今で言う発達障害的な所も子供の頃にはあったのかもしれませんし、今も頭の中の基本構造というか思考の癖みたいなものは、当時とあまり変わっていない様な気がするので、そういった意味では今もまだ治った訳では無く、そういった困った特性に上手く蓋を出来ているだけなのかなぁとか、最近強く思います。

流石に50代のおじさんなので、だいぶ行動面での突発性みたいなものはおさまって来ているのだと思いますが、心の中にはまだ、脱走者や土木工事業者の心意気を内包していますので、生き難い局面なども多々ありますが、一応、逮捕されたりする事もなく、比較的健康に過ごせてはいますので、子供の頃にちょっと人と違った特性を持っていても、それを隠して生きていく術を学んだりしながら上手く世間と折り合いをつけながら生きてもいけるのかなぁとか考えます。

…という訳で、文才が無いので長々と散文的な内容となってしまいましたが、私はこれからも誰の特にもならない様なチャレンジに心を燃やしたり、且つそれを他人から悟られる事なくミッションコンプリートする事を目指していきますという宣言をして締め括りたいと思います。
(いや、なんか違う…。自分が思っていた着地点では無い気がしますが…まぁ良いか。)

それでは皆さん、ごきげんよう