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50代独身おじさんの日常

キラキラ要素は0%です。

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どうも。神の使いです。

関東エリアは昨日、1日中雨降りでした。
雨の日の通勤時の悩ましさは、色々ありますが、私としてはもう諦めの境地とも言えるイベントとして…

"他人の濡れた傘の雫を、私のパンツの裾が吸収する問題"

誰も悪くないけど誰かに当たり散らしたい気持ちに陥る、精神衛生を著しく掻き乱すイベントです。

雨なので当然傘は濡れます。濡れた傘の雫は当然完全に振り払えません。その状態で満員電車に揉まれれば当然誰かしらの傘の雫が付いてしまいます。
それは解っています。傘の構造が変わらない限り、或いは、傘の収納方法が変わらない限り、或いは満員電車に乗らないと言う選択をしない限り、解決しない問題であることも。

しかも、引き寄せの法則でしたっけ?なんかそういう濡れた傘を引き寄せてしまう星の下に生まれたのか、私のパンツの裾が他人の傘の雫を吸収するシチュエーションに出くわす確率は相当高く、ホント、雨の日はビー玉の様な目で満員電車に揺られておりました。

 

そう、今までは。

 

ただ、コロナ禍を経て久しぶりの雨の満員電車では少し、私の中でパラダイムシフトが起こっている事に気が付きました。

それは、
「私はあなたの傘の雫を吸収する為に神から派遣された、神の使いです。どうぞ私のパンツの裾をご利用下さいまし。」
と言う奉仕と慈愛の精神に切り変わっている事に。

そんなマインドに切り替わると、どんより曇った私のビー玉の目も、キラキラ輝き始めます。

 

昨日は行き帰りで都合2名の傘の雫をたっぷり吸収して差し上げました。
神の使いとしてはまぁ当然のプレイですが。

誰も悪く無く、自分でコントロールできない事を、不本意ながらも甘んじて受け入れなくてはいけない時は、自分を「神の使い」と言う下々の民よりも1段上のステージに身を置く事で、精神衛生汚染を急ハンドルで回避する事ができるハックとなることに、50代になった今、気付いちゃいました。

今後は、納得できない事があったらその都度バシバシと神の使いとして振る舞って行きますので宜しくお願いします。

まぁそんな神の使いの私ではありますが、下々の民の皆さんごきげんよう