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50代独身おじさんの日常

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インプット<アウトプット

新しい知識を、読書やセミナー/講義などからインプットし、何だか自分の視界が拡がった様な気がするって事、ありますよね。

でも時間が経つと段々とその感動も薄れて来て、そのうちうろ覚えレベルまで記憶が薄れ、終いには何かそんな本を読んだ事だけは覚えているんだけどなぁアレなんだっけかなぁ…。ってなりますよね。

私は脳のメモリが極端に少ないニワトリ級の軽量仕様なので、新しい事を頭に入れると、ところてん式に別の何かが押し出されてしまい、あまりお利口になれないタイプだもんで、結構苦労して来ました。

知識を自分の中に落とし込んで自分の血肉にするには、インプットだけでなく、アウトプットの方が実は重要なのかもなぁって思います。

例えば、会社がセミナー受講費用を出してくれる代わりにセミナー受講後にどんな内容だったのかレポート提出する必要があったりしますが、これ、なかなか的を射ているなぁと思うんです。

インプットするだけでは、どうしても解った気になっているだけで、ちゃんと腹落ちしていないけど、誰かに説明する/レポートにまとめる、といった変換作業を通して、インプットした情報を自分というフィルターで濾過し咀嚼し自分の言葉に変換してアウトプットする、という変換作業を行うことで腹落ちするというメカニズム。物事を理解する為にはこれが結構重要なプロセスなのかな、と。

なので、私も新しい知識を専門書などから得た場合は、必ず誰かに説明する様にしています。説明した時に相手がちゃんと理解してくれたら、それは自分自身がちゃんと理解出来たからだという証になりますし、ちゃんと自分の言葉で解り易く説明できたという事になるので自分の言葉で再インプットされるのでより理解が深まりますし、説明する前に相手からこんな質問されたらどう答えよう?と想定し必ずシミュレーションをすること、色々と解らない部分や理解不足な点が出てきますので、それをまた調べてインプットしていくと、本で読んだ情報だけでなく周辺情報なども関連付けて理解していけるので、より理解度が高まり説得力が増す様な気がしています。

 

全然話は変わりますが、コロナ禍となってフルリモート勤務となって以来、通勤時間が無くなったのは嬉しいことなのですが、逆に通勤時間でしかやっていなかったこと(=私の場合は読書)が、それと共に削られてしまった気がします。

単純に通勤時間に相当する時間を読書に充てれば良いじゃんって思うのですが、何故か家の中では本を読めないというか片手で吊り革に捕まって片手で本を持って、というあのスタイルでないと内容が頭に入って来ないそんなわがままボディになってしまっている自分に気がつきました。

まぁそんな訳で、アウトプットする前にまずはインプットしろ!と自分を戒めつつAmazonで本を数冊ポチりました。

本当は吊り革も一緒にポチろうと思いましたが、リビングのかもいにぶら下げた吊り革に捕まって本を読んでいる姿を想像したらなかなか香ばしい状況に思えたので吊り革は辞めておきました。

それはそうとして、読んだ後はこのブログにアウトプットして実験してみたいのでその際は被験のご協力をお願いします。

それでは皆さんごきげんよう